仮面ライダーゼロワンにおける整合性とパーフェクトコンクルージョン

日常

ゼロワンが!!
ここにきて!!
おもしろい!!

信じていたぞゆうや!! お前ならやってくれると!! いやホントにとんでもないことしてくれたな!?

4月頃、ゼロワンの内容をボロクソにぶっ叩く記事を書いた。いやそこまででもないかもしれないが、とにかく叩く記事を書いた。
めっちゃ伸びてる。
今までも毎週日曜日に閲覧数が上がってきていたし、ここ最近は特に凄まじい。多少アンチ寄りの内容だったために、素直に喜ぶこともできず、ブログ内ランキング上位に昇ってくる度に心のなかで「ごめんよゆうや……」ってしていた。

書き手の視点で仮面ライダーゼロワンの失敗を考える
仮面ライダーゼロワン、第二章が完結した。長きに渡ったお仕事五番勝負は結果的にZAIAエンタープライズ日本支社長の天津垓が勝利、飛電インテリジェンスは買収され主人公の飛電或人は社長の座を追われることとなった。……うん。長かった。あまり...

だが!!
それもこの日曜までの話。
ゼロワンが!! なんか凄いことになってる!!(手のひらジクウドライバー)

ヒロイン爆散!!
主人公闇堕ち!!
最終回まであと三話!!

 

闇堕ちで喜ぶチョロいオタクのような気がしないでもないが。それでも。興奮を隠せずにはいられない。そう来たか、と。それアリなのか、と。
今回はこの、ゼロワンの物語の最終回直前での急展開について、『整合性』をキーワードに考えてみようと思う。

整合性は物語に必要なのか?

整合性とは。物事や言動に矛盾がなく、整っているという意味の言葉である。……人々が物語を語るとき、一つの指標にするものだ。
例えば、主人公の目的がハッキリしていて、最後まで言動がそれに従い一貫しているとき、その物語は整合性があるとみなされる。例えば、世界の力関係が最初からきっちり定められていて、それに乗っ取った話の作りがなされているとき、その物語は整合性があるとみなされる。
別に世界観が現実に即している必要はない。その物語の中で、その物語におけるルールが統一されており、それに乗っ取って筋の通った言動をしているならば、それは整合性が取れていると言えるのだ。

仮面ライダーで例を挙げるなら──仮面ライダーは大抵の場合は瞬瞬必生で出来ているので整合性を気にしてたら楽しめないという意見もそれはそうなのだが──これは自分の趣味も多分に入り交じっているが、ウィザードなどは基本的に整合性が取れている方なのではないだろうか。
幼い頃に、両親から最後の希望を託され生き延びた操真晴人。彼はその希望を手放さなかったことで、魔法使いの資格を得た。最後の希望を託された彼は、人々の希望を奪うファントム相手に、希望を守るための戦いに身を投じていく。例えどれだけ辛くとも。例え守るべき対象に拒まれようとも。……非常に分かりやすく、話の筋がしっかりとしている。

このように、最初から最後まで、あるルールに乗っ取って話が作られ、それがブレていないとき、それは整合性のある物語とみなされる。

だが、だ。
当然だが、整合性のとれた文章と面白い文章は全く違う存在である。整合性のとれた文章というグループと、面白い文章というグループがあり、その二つが重なりあったところに整合性が取れていてかつ面白いものがあるだけだ。ついでに言うなら、この二つの外に整合性もなければ面白味もないやつがあったりする。

そう、整合性なんかなくたって面白い物語は作れる。
例えばポケモンは、整合性がない部類の物語だ。旅に出たばかりの少年が──この少年がプレイヤーと同一だとはいえ──めきめきと実力をつけ、たった一人で悪の組織を壊滅させる。徒党を組んだ、力を持っている大人達を、たった一人で倒してしまう。一度の負けイベントすらなくだ。パワーバランスを考えれば、これは明らかに整合性のない物語である。
だがポケモンは面白い。
悪の組織を少年が一人で壊滅させる、パワーバランスの破綻しているポケモンは面白い。
面白さと整合性に、関係はないのだ。

そしてもう一つ、忘れてはいけないことがある。

人々がわざわざ整合性の話をするときは、その話が面白くないときだ、ということだ。

あまりに整合性を欠くシナリオ

わざわざ整合性の話がされているとき、その話は既に面白くない。物語が面白いならば、その時点で誰も整合性のことなんて誰も気にしなくなるのだ。なんなら視聴者が勝手に辻褄を合わせてくれる。
故に、整合性の話をされている時点で、既に物書きは『負け』ているのである。

……そして、ゼロワンは整合性の話をされていた。
しかも、整合性すら欠いている、という文脈で。

そう、ゼロワンの物語は、あらゆる面で整合性を欠いていた。
例えばライバルの天津垓。彼は典型的なパワハラ上司であり、買収した飛電インテリジェンスにてパワハラや私的な使い込みを繰り返していた。が、後に彼は飛電インテリジェンスを愛していた、青臭いな経営が許せなかったと吐露している。
例えば民衆。人々の生活を助けるヒューマギアは既に医療現場等に普及していた。が、平気でヒューマギア撤廃の論議が持ち上がる。
そして例えば、主人公の飛電或人。彼はヒューマギアを、人々を助けるかけがえのない『夢のマシン』と語り、ヒューマギアを害する悪しきヒューマギア、滅亡迅雷.netから守っている。
……と思いきや、戦いでヒューマギアが破壊されたらユーザーに新しいヒューマギアを与えることを代替措置とし、それに満足している。
……と思いきや、そのヒューマギアを破壊する滅亡迅雷.netをも、天津垓に破壊されそうになっていたら守る。自社に勧誘したりする。

うん。
ガバい。

いや、頑張れば擁護の辻褄合わせも出来なくはない。
飛電或人は、滅亡迅雷.netもヒューマギアであり、彼らがヒューマギアや人類を害するのはアークという悪の人工知能が原因だと信じていた。滅亡迅雷の一員、滅は元々は父親型ヒューマギアであり、ヒューマギアの父を持つ或人にとっては信じたい存在であった。
故に、飛電或人の行動には筋が存在した。……そんな考察も、どこかしらで見た。

だがそれも後からだから言えた話。少なくともストーリーが進んでいる中で、それは読み取れなかったのだ。
これはテレビドラマという形式も原因の一員になっているだろう。以前の記事でも触れたが、毎週情報を小出しにするテレビドラマでは、物語を俯瞰することができないのだ。

ゼロワンは整合性を欠いていた。
そして、整合性が話題になってしまうくらいにはつまらなかった。
つまらない原因は以前記事にした通り、話が遅々として進まないことだ。お仕事勝負していた頃はひたすら天津垓に対して劣勢、飛電製作所を作ってからはひたすら天津垓に対して優勢。どちらにせよ話は進んでいなかった。故につまらなかった。

面白くもなく。整合性もなく。
それがゼロワンだった。
そういうものだ、と視聴者はもう認識してしまっていた。

これを逆転する方法が、あるだろうか?

逆転の為の完璧な結論

以前も述べたが。
仮面ライダーのようなテレビドラマを面白くするのなら、急展開を定期的に起こすことが必要である。仮面ライダーエグゼイドの物語が、クロノスをラスボスに置きつつもキャラクターの陣営変更を度々重ねることで面白さを維持していたように。

その手法に乗っ取れば、ゼロワンも急展開を必要としていた。
だが、それだけでは足りない。
既に視聴者が整合性のようなところを話題にし始めている以上、ただの急展開では色眼鏡は外せない。整合性が取れていて、かつ面白い、そんな展開でなければ、ゼロワンの評価は覆らない。

……だが、そんなものをお出しすることは不可能だ。
何故なら、整合性を持てないまま40話進んでしまったゼロワンに、今さら整合性なんて産み出せないからだ。物語の整合性は、描写の積み重ねで作られる。『そういうものだ』という描写がルールを、整合性を組み立てる。……積み重ねを持たないものに、いきなり整合性は生えてこない。今から新しく作っている時間もない。

ゼロワンが、整合性が取れていてかつ面白い展開を提供することは不可能だ。

 

……ゼロワンの脚本家、高橋悠也は、そこまで考えてこの結論を導きだしたのだろうか?

『整合性が取れていないこと』を整合性にする、という選択を。

視聴者の不満をそのまま利用する選択を。

飛電或人をラスボスに変身させる選択を。

 

飛電或人は整合性の取れていないキャラクターだ。軸はブレブレ、筋なんか通っちゃいない。そう見える。

そんな奴なら、闇堕ちしても仕方ない。

……我々視聴者は、どこか納得していたはずだ。
ラスボス、仮面ライダーアークワンに変貌した飛電或人を眺めながら、そんな風に。
こいつはこうなってもおかしくなかったな、と。

本来主人公がラスボスと化すなんて、『ありえない選択肢』だったはずだ。特にこれは子供向け番組──製作陣は全世代向けドラマだと言い張っているが──仮面ライダーである。仮面ライダーの主人公が終盤も終盤にラスボスになるなんて。もしかしたらラスボスとして倒されて終わるかもしれない。ありえない。
普通なら、不満の声が上がって当然だった。普通なら、理解できないという声が上がって当然だった。
だが、それらをこれまでの『整合性の取れていなかった飛電或人』が黙らせる。
整合性が取れていなかったという事実が、圧倒的な整合性に変化する。

それだけではない。この視聴者が抱いていた飛電或人への不満を利用した劇的な転化は、視聴者がこれまで抱いていたその他の不満すらも利用する。
主人公がラスボスになるという破壊的な展開でもって、これまで抱いていた不満はカタルシスに変わる。悲劇を見るときのカタルシスだ。
ああ、スッキリした、と。あの飛電或人がアークに堕ちた。可哀想だが納得できる。あのイズが破壊された。可哀想だが仕方ない。ああ……面白いな。この先が気になるな、と。今までの仮面ライダーシリーズの物語とは全く異なる、破壊されることによってのカタルシス。刺激に満ち溢れていることは言うまでもない。
そして視聴者は考えるはずだ。ここまでずっとゼロワンに感じていた不満も、わざと作られていたものではないのか? ……コロナの影響でアズが利用され始めたことを考えるとそんなことはないのだが、そう思えてしまうのだ。本来飛電或人とは関係ない、単に整合性がなかっただけの描写すら、視聴者にストレスを抱かせてより或人ラスボス化展開を際立たせる仕掛けに変貌してしまうのだ。

これこそが、ゼロワンがたどり着いたパーフェクトコンクルージョン。
悪意。恐怖。憤怒。憎悪。そして絶望。
それらを力に変える完璧な結論。

不満だらけのストーリーを、製作陣自らとんでもない方向に転がすことで、全ての価値を逆転させる選択だった。

この手法は他にも生かせるか?

見事だ。
実に見事な挽回方法だ。そんな方法が可能だなんて、視聴者は誰も予想だにしていなかったろう。
鮮やかな逆転。破壊的な快楽。仮面ライダーでそれをやってしまったという興奮。
ああ、実に面白い。

……だが。これは、仮面ライダーだからできる作戦に他ならない。

仮面ライダーというブランド力。例えどれだけストレスフルな物語でも、何だかんだ言いつつ沢山の視聴者が着いてきてくれる仮面ライダーだからこそ、ここまで視聴者のフラストレーションを蓄積させ、利用することができたのだ。

他のものでは、こうは行かない。
例えば、連載漫画でこれをやったらどうなるだろう?

……面白くなくなった時点ですぐに視聴者から見捨てられてしまう。後で面白くなるかなんて、今読んでいる読者には伝わるわけがないのだから。
ストレスが溜まるストーリーに、わざわざ付き合ってくれる奇特な読者などそうそういない。それが普通だ。誰だって、わざわざ娯楽を見て疲れたくはない。
ゼロワンが導きだしたパーフェクトコンクルージョンは、ゼロワンでのみ通用するものだったと言えるだろう。

まとめ

整合性がなかったということを整合性に変化させ、視聴者の持っていた不満を逆転させたゼロワン。
しかし結局のところ、そのゼロワンの導きだした結論は、これまでの仮面ライダーシリーズが積み上げた資本の上に成り立つ飛び道具である。非常に有効に使われはしたが、仮面ライダーの持っているブランド力が無ければそもそも成立しなかったと言っていい。

とはいえ、それでも見事だったと自分は評価する。安易にアークワンから解放されるのではなく、このまま或人がラスボスとして君臨するのならば、昭和や平成とは違う、新たな令和の伝説が生まれてくることだろう。
これからのゼロワンが、楽しみで仕方ない。

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