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見覚えのない場所

Roku

所属するサークルの中に、同じ高校出身の4つ離れた先輩がいる。サークル帰りに同じ電車に乗り、たわいない話をしているうちに、母校の話になった。

大きく年の離れていない同じ高校出身者ともなると、高校では同じような行事や授業が毎年繰り返されているし、校舎も同じなのだから、大体共通した記憶を持っているものだ。その上で学校祭や体育祭といったイベントの話だの、あの先生がまだいるかとか、校舎のあそこがぼろいだの、あの頃に戻りたいか戻りたくないかだのと話して、結局変わんないねという話に落ち着くのが常だろう。

しかし、先輩の口から出た言葉は

「卒業後に学校祭に行ったら、もう見覚えのない場所になっていた」

だった。僕の持つ高校の姿と先輩の持つ高校の姿は違っていたのである。

というのも、母校は校舎の建て替えを経験していた。僕が入学した年には新校舎が使われていたのだが、その前年まではプレハブ校舎だったらしい。当然、先輩は旧校舎とプレハブ校舎で3年間を過ごしていたのだが、その校舎はもうとっくに無くなっていた。

「そっか、先輩の見た景色はもう残ってないんですね…」

「そう。だから学校祭に行ったときは少し寂しかった。」

そんな話をしていた時には、その寂しさを具体的に想像できかねていたが、先輩と別れて下車し、自転車で帰る途中の出来事である。

駅近くに、昔なじみの友人家族の家があった。かつて定期的に遊びに行ったこともあり、なかなか思い出深い家だった。夏休みになるとその家の近くでお祭りがあるのだが、祭りの日にその家でBBQをしながら祭りを楽しんだのはいい思い出だ。

そんな家が更地になっていた。友人宅のその姿はいつの間にか消えていた。駅周辺の再開発の波にのまれたのだ。

以前からその話は聴いていたし、その家族が市内の別の家に引っ越すことは知っていた。しかしいざ無くなってしまうと、思い出の場所、景色がまっさらな更地になっていく気がして、そして町中から思い出を切りとられた様な気がして、寂しかった。

先輩が感じた寂しさも、きっとこんな感情だったのだろう。思い入れのある場所が別の景色に塗り替えられていることが、思い出をより遠くに感じさせ、記憶の輪郭をその場所が裏打ちしなくなることで、おぼろげで儚いものになってしまう。そんなことを感じ取っていたのかもしれない。そういえばゼル伝でも、特定の場所に行くことで記憶を呼び覚ましていた。もしかしたら場所の記憶のような物があるのかも知れない。少なくとも、僕はその存在を無意識に信じていたとすれば、あの更地を見た時のこの感触にもうなずける。

とはいえ、再開発でずいぶんと変わっていく地元の姿に、慣れ始めている自分もいる。だからきっと、その家の影を見ないことに、なれてしまう気もする。そうして一緒に記憶も掠れていってしまうだろうことが、また寂しさを感じさせるのだ。

しかし、よく聴くような、故郷に帰ったらいつの間にか景色が変わっていた訳でなく、次々と思い入れのある故郷の姿が次々と置き換わっていくのを目の前で味わいながら、それに慣れていく気持ちの悪さもある。故郷の景色は確実に郷愁の思いを駆り立てる力を失って、妙な疎外感を与えるようになっている。

もし、何もかもが置き換わった後にも住み続けたとして、果たしてここを故郷と思えるかどうか、自信が無い。

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