皆さんは一度は失敗写真というものを撮ったことがあるだろう。
被写体がボケてたり、手ブレがひどすぎたり、白飛びしたり。
とにかく、自分の意図した写真が撮れなかったときに、ひとはそれを失敗写真と呼ぶ。
しかしフィルムカメラを始めてからというもの、「失敗写真」と呼ばれるものに対する考え方が変化してきたような気がするのだ。
今回はフィルムカメラを始めてから失敗写真に対する向き合い方がどのような風に変わったのか、ゆるく語っていこうと思う。
フィルムカメラを始める前
フィルムカメラを始める前の僕は、当然ながらスマホやデジカメで写真を撮っていた。
スマホやデジカメで、特に人物の写真を撮るときの作法としてよくあったのが、「はいチーズ。もう一回、もっと笑って。はいチーズ」というものだ。つまり何枚でも写真が撮れるので、失敗してもいなくても予備を撮るのが当たり前、みたいなスタンスである。
これは至極当然の帰結である。スマホは容量を気にしなければ無制限に写真が撮れるので、確実性を持たせるために複数枚撮らせることは撮影者には特に負担にならない。むしろ撮影者としての約束事として暗に決められている作法なのだ。
だがよくよく考えれば、後でSNSなりにアップロードして使うのはどうせ最後の一枚なのである。万が一目をつぶってたりブレてたりしたらそれはそれで最後から2番目の写真が選ばれるだろう。
とにかくここでは失敗してるかしてないか、いい写真かいい写真でないかなどはほとんど顧みられない。複数枚から選べることが重要なのだ。
そしてこの作法の中にはお分かりの通り必然的に「失敗写真」が発生する。それは特に失敗などしていないかもしれないが、その直後に撮影したもう少し良い(と思い込んでいる)写真があり、そのために自動的に存在価値を失う。
人物写真以外にも同じことが言えた。航空祭で飛行機を連射した時も、機体が一番大きく映ったもの以外はろくにチェックもしていなかったし、旅行先で風景を撮った時も、大抵一番最後に構図が定まった一枚が採用され、他はHDDの奥底に眠っている。
そしてこれらは決して大失敗したから「失敗写真」になったのではなく、むしろ全然ボケたりブレたりもしていなければ露出も適正なのに、ほかに少し良い写真があったから、自動的に「失敗写真」のカテゴリに放り込まれてしまった写真たちなのだ。
これがデジタル写真における「失敗写真」であった。
フィルムカメラを始めた後
フィルムカメラ、特に完全機械式フィルムカメラと呼ばれるものを始めた後に驚いたのは、その打率の低さであった。デジカメであれだけ構図やピント、露出が正確に決まった写真が撮れていたのに、フィルムカメラではそれが一枚として撮れない。ピントあってれば万々歳という感覚。
そんなフィルム写真における「失敗写真」は、本当にどうしようもなく失敗したものばかりだった。
露出をミスったせいで白飛びしてるし
被写体はそれが何なのかわからんレベルでボケてるし
手ブレ酷すぎて地震起きてるのかって感じになるし
ピント、露出が合っていても「何が撮りたかったんですか?」みたいな写真が出てきたりする。特にこの種のミスが一番多く、そして正直これが一番つらい。
フィルムカメラでは残酷なことに、自分がシャッターを切ったものはそれがどんなに失敗していようとそれと一度は向き合わなければならない。36枚しか一度に撮れず、フィルムや現像にもお金がかかる。そんなシビアな条件なのにこんな失敗写真が大量に発生するわけで、こうなってくるともうこれは自分のセンスのなさと向き合うしか他にないのだ。
そんな苦悩を1年ほどやってたら、いつの間にかフィルム写真で撮るのが楽しくなってきた。
デジカメで撮っていた時のように高価な機材をぶん回して100枚から一枚を選んで打率100%を自称するよりも、フィルムカメラで36枚から3枚を選んで「うーん今回は打率1割か、わりとよく撮れたな。」と謙虚になったほうが楽しいということに気づいたのだ。これは写真技術の向上という点でよく働いた。
それと同時にフィルム写真における失敗写真のハードルも下がった。ハードルが下がったというよりは、「失敗写真を愛でる」ことができるようになったのだ。
デジカメだとこの種の失敗写真はそれこそ「意図しなければ」発生しない。なぜなら高度に自動化された機械がシャッターを押したときに適正な写真を撮ってくれるからだ。しかし設定をすべて手動で設定するフィルムは失敗が不意に起こる。その偶然性がなんかおかしくって、楽しめるようになってきたのだ。
とはいえ撮る写真のすべてがフィルムになったわけではない。人物撮影や物撮りなんかはデジカメで打率重視でいく。あくまで趣味性の高い写真はフィルムで楽しむようになった、ということ。使い分けは大事だ。お金もかかるしね。
まとめ
フィルム写真を始めるのをためらう理由の一つに、「失敗するのが怖い」というのがある。確かに成功/失敗で考えればフィルム写真の打率はデジタルのそれに比べて低い。
でもそれ込みでフィルム写真だなあ、と今では思う。そこに楽しさを見出せるようになれば、嗜好品としてのフィルムカメラの世界が、あなたを歓迎してくれた、ということなのかもしれない。
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