お風呂上りに失神した。そこまで熱くはないぬるま湯から上がり、室温にして15℃ぐらいだと思われる脱衣所で体を拭こうとしたとき、途端に胸のあたりの気持ち悪さに襲われた。直後、吐き気かと洗面台に手をかけた瞬間から記憶がない。気が付いたら床に仰向けになっていた。
灰色の砂嵐と幻聴の中、酷い寝不足で爆睡中に無理やり起こされたときのような前頭葉のの重たさを感じながら目を覚ます。洗面台をつかんで起き上がろうとしたが、意識が混濁してまともに起き上がることができず、床にしばらく伏したあと、ようやく上体を起こすと到底風呂上りとは思えない顔色をした自分が鏡に映っていた。胸のあたりの鈍い痛みと前頭葉に血の気が通っていない感覚にまた床に崩れながらも、顔面蒼白という言葉とはまさにこのことをいうのだなという感動のあまり、また起き上がって鏡を確認していた。死人のような血色をした自分の顔にぞっとしたのはその後であるから、まあなんとも呑気なものだなぁと自分であきれている。
全裸で倒れて、床に伏しながら服を着ているところをあまり人に見られたくはないなぁと思いながら着替えをすませ、リビングに移動すると親がテレビを見ながらソファーに座っていた。親曰く、物音がして、大丈夫かと呼びかけても返事がなかったが、「風呂あがってすぐ、いきなり入っていったらちょっと嫌でしょ」としばらく様子を見ていたという。幸い、1分ほどでまた物音がしだしたから見に行くことはしなかったとのこと。何というか、本当にやばかった時に下手したら死んでから気が付かれるんじゃないかという不安が一瞬よぎったが、全裸でぶっ倒れているところを見られなくてよかったなどと思っていたのは自分である。子は親の鏡か。
思えば、お風呂もぬるま湯だし、脱衣所もそんなに寒くない。寝不足というわけでもなかった。しかし、症状はヒートショックとかいきなり立ち上がったことによる低血圧だろう。おおよそ、運動不足で心臓や足に負荷をかけるようなことがほとんどなくなってしまっていたことが良くなかったのかもしれない。若いし、寝不足でもないからと言って、ヒートショックなんておこらないだろうという驕りもあった。直近数日のうちに、銭湯でのぼせて助けてもらっただの、あまりに不規則な生活習慣をしていたら自律神経をやっとといった話をサークル仲間から聞いていたのにこのざまだ。人の振り見て我が振り直せとはいうが、自分はこれはできてるから大丈夫、自分はこうだから大丈夫と自分を恃んでいた。鏡は悟りの具にあらず、迷いの具なりとはよく言ったものである。
(タイトル文:夏目漱石「吾輩は猫である」より)
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