本記事はタイトル記載作品のネタバレを含みます。
この前Rokuが勧めていた『シャッターアイランド』という映画を見た。
そのあと、Rokuと感想を言い合っているうちに他の映画との共通点とそれぞれの提示する答えの違いに気づいた。
似ているなあと思った映画は、『メメント』
そして『ジョーカー』。ホアキンが主演の方。
3つの映画はどこが似ているのか。
一言でいえば『狂人オチ』だ。
『狂人オチ』とは、物語の主観を担う主人公が物語が進むにつれて何らかの形で現実と乖離を起こしていて、最終的には周りから狂人だと思われていたことが判明し、主人公自身もそれを自覚するという流れの物語のことだ。個人的に考えた概念なので、適切な用語をご存じの方はコメント欄で教えてください。
筆者はタイトルの3作品は、この『狂人オチ』映画であると考える。
『メメント』では健忘症の主人公が妻殺しの犯人を見つけだし仇を討とうとする話だが、物語の最後には仇討はもう済んでいて、それでも自らの執念のために誰かを犯人に仕立て上げ続けていたという事実が明かされる。
『シャッターアイランド』では保安警察の主人公が精神病患者を収容する囚人島で行われる人体実験を明らかにしようという話だったが、最終的には主人公が患者の一人であり、すべては治療のためのロールプレイであったと明かされる。
『ジョーカー』では交際していた相手が妄想だったり、母親が言っていた主人公は隠し子という話が母親自身の妄想だったりと、正常だった主人公が緩やかに狂気に落ちていく。
3つの映画は演出の点も似通っている。最初は主人公目線で描き、観客が主人公に感情移入するように誘導する。しかし物語が進むにつれ、だんだん嫌でも主人公を疑っていかないといけなくなる描写や展開が増え、最後には「狂人」だったということを否が応でも認めないといけなくさせる。
こういった演出のおかげで、まるで主人公の追体験をしているような感覚にさせるのがこの3作品の妙でもある。
しかし、『狂人オチ』はそれ自体で映画を評価することはできない。なぜなら『狂人オチ』はテーマであり、それ単体ではメッセージ性を持たないからだ。
この題材が真価を発揮するのは狂人になった自分を「どうするか」をどうするか、そのアンサーにある。
狂人になった。さてどうする。
各映画のアンサーは以下の通りだ。
『メメント』:狂人でいることを忘れ、自分は正常でこれからもうまくやっていくと信じることにする。
『シャッターアイランド』:狂人であることを受け入れ、残ったわずかな理性で自分自身にとどめを刺すことを決める。
『ジョーカー』:狂人であることを受け入れ、狂人として生きる。
似通った映画なのに、こんなにもアンサーが分かれるのは新鮮だ。自分の好みは『シャッターアイランド』。個人的な好みもあるが、観客の視点からしても、一旦感情移入させた主人公が狂ってしまって感情移入を手放したくなったその瞬間に少しだけ良心を戻すことで、最後まで観客を映画から引き離さないという演出上のきれいさが気に入った。
これら『狂人オチ』モノはその尺のほぼ9割を観客に主人公は狂人だと納得させる、あるいは主人公に納得させるために費やすが、最後の1割だったり、あるいは最後のわずか数シーンのアンサーパートこそが作品の核だ。
まとめ
これまで見た映画を俯瞰して分析する試みを今回してみたが、意外と楽しかった。この種のひらめきが下りてきたら、また記事にしたい。
ちなみに『狂人オチ』は自分で作ったワードなので、読者の皆さんで適切な用語を知っている方はコメントで教えていただきたい。おすすめの『狂人オチ』モノもあったら教えてほしい。
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