積雲が映像制作したMV『RANGEFINDER』公開中
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自分を救ってくれる物語とはどういうものか。『RANGEFINDER』で自分は何を物語りたいのか。

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最近の青春アニメに一つ思うことがある。

「主人公は作品を通じて何かを成し遂げる。それによって成長し、何らかの結論に至る。そして、恐らく揺るぎない自己を確立することが暗示される。」

近年の青春アニメの王道のパターンだ。思春期の青年も大人も楽しめる。前者は主人公らと自分を同一視しながら見ることで青年期の課題を乗り越える勇気を得ることができる。後者は過去の自分とキャラクターを同一視しながら見ることで自分の送ってきた青年時代を肯定する物語として消化することができるだろう。

しかし自分はこの物語を自分自身を肯定したり前に進むための勇気にすることができない。自分は思春期の青年でも成熟した大人でもない。思春期を終えたが確立した精神を持てずに悩んでばかりいる、中途半端な存在だ。

何を悩んでいるのか一言でいうと「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」ということだ。答えはわからない。中学2年生からかれこれ5年以上を悩んでいるがわからない。

上記のストーリーは思春期を終えてもこんな風に悩んでいる自分に「君はまだ何かを成し遂げていないからだよ」と囁く。

思春期なら健全にこれをバイタルに部活動や受験勉強に費やすことができただろう。でももうそのフェーズは終わっている。それなりに名の知れた大学に入れて、自分の思春期の頑張のおかげで自分の今があることは納得している。満足もしている。でも最近の青春アニメのように、「何らかの結論」や「揺るぎない自己」をまだ手に入れられていないように感じる。

「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という問いに、「まだ成し遂げていないから」というのは、確かに一つの答えだ。「まだ成し遂げていないから」は確かにこの5年間の自分を支配した考えだった。問いに対して自分の持っていた唯一の答えだったし、これ以外の答えを自分は認めなかった。

まだ自分は成し遂げていないというメンタルを飽くなき成功や成長への探求に変換することができる人もいる。自分はそうでありたかった。でも無理だった。

そうして「何者」を目指した自分は、2021年7月、ついに折れた。一か月以上脚本のやり直しと称して休養期間をとったが、全く自分の心は休まらず、筆もキーボードも動かず、何もできなかった。

脚本のやり直しということで、自分が書きたい物語、書くべき物語をずっと考えていた。

『RANGEFINDER』は自分の物語である以上、大筋は決まっていた。「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という悩みを抱えた主人公がいて、それまでは彼女が「主人公は何を成し遂げるべきか」ということをずっと考えていた。

でも思い返してみれば、部活動も、受験も、当時は悩みながら取り組んだ様々なことをもってしても、いまだ「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という悩みを自分が「何かを成し遂げたことによって」解決していないことに気づいた。

一つの答えが出た。「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という悩みは、あまたある青春アニメの示すような「何かを成し遂げることによって」では全く解決しない、ということだ。

そしてそう気づいた自分は「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という問いに対する答えを、これまで悩んでいたのが何だったのかと思う形の答えを、得た。

自信がなく抑うつな状態こそが自分だ。悩んで苦しんでいる姿が嘘偽りのない自分自身なんだ。


『RANGEFINDER』はおそらくこのような物語になる。

自信がなく抑うつな状態」になってしまった主人公が、「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という悩みを抱える。

彼女はカメラに出会い、写真を撮ることを気に入って、写真撮影を通じて「何かを成し遂げる」ことによって悩みを解決しようともがく。

しかしそれは失敗に終わって、一度はカメラを嫌いになって、距離を取る。

彼女はしばらく何もできなくなり、鬱もひどくなる。

やがて写真を撮る行為自体に「自信がなく抑うつな状態」を完全に治しはしないが慰める種類の楽しさがあったことを思い出し、「自信がなく抑うつな状態こそが自分だ。悩んで苦しんでいる姿が嘘偽りのない自分自身なんだ。」という気付きを得る。

彼女は再びカメラを手に取る。


これこそが今の自分を救ってくれる物語だ。引きこもっていた高校一年生の僕も救ってくれる物語だ。そして僕が書くべき、僕にしか書けない物語だ。


ここまで一切目をつむってきたが、アニメ映画『RANGEFINDER』を作ることが積雲にとって「何かを成し遂げる」ことじゃないか、というツッコミがあると思う。ごもっともだと思う。まだ自分が「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という問いに「自主制作アニメ映画を劇場で流すことを成し遂げる」ことで解決しようとしてることは確かだ。

でも、もしそれを達成できても「なぜ自分に自信がなく抑うつな状態から抜け出せないのか」という問いが解決しないことも考えられる。その時に自分は自信をもって「自信がなく抑うつな状態こそが自分だ。悩んで苦しんでいる姿が嘘偽りのない自分自身なんだ。」といえばいい。解決したら、「何かを成し遂げた!」と堂々と胸を張って生きてくだけだ。

 

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