積雲が映像制作したMV『RANGEFINDER』公開中
専門積雲

次作MVでは何を物語りたいのか。積雲が描きたい「怪物」とはなにか。

専門

RANGEFINDERのMVを公開して早6日。そろそろ次の作品に取り掛からなければならない頃合いだ。次の作品もMVになる。

RANGEFINDERの最初の作業は原作小説を書くことだった。わざわざ小説を書き下ろしたのは映画化を念頭に置いてのことだったが、前回の記事の通り、当初の目的を超えて映像と音楽で語りたいことを明確化できたという大きなメリットがあった。

MVを作った上でよかった点、次回に生かしたい反省点
反省点を箇条書きで書いていきます。完全に忘備録的な記事になります。 良かった点 原作小説を書ききったこと これはやってよかったことの一つですね。作曲の人と作りたい物語の共通認識が持てたことと、音楽の方向性を調整しているときに引用ができたこと...

なので今回も原案となる小説を書きたいと思ったが、実は前回RANGEFINDERの小説を書いたときはそもそも自分は何を物語りたいのか自分で煮詰めて記事にすることをした。

自分を救ってくれる物語とはどういうものか。『RANGEFINDER』で自分は何を物語りたいのか。
最近の青春アニメに一つ思うことがある。 「主人公は作品を通じて何かを成し遂げる。それによって成長し、何らかの結論に至る。そして、恐らく揺るぎない自己を確立することが暗示される。」 近年の青春アニメの王道のパターンだ。思春期の青年も大人も楽し...

この記事はそのための記事だ。

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怪物というジャンル

ジャンル「怪物」の定義

怪物というジャンルがあると思っている。ジャンル「怪物」とは、日々の鬱屈や耐えきれない重圧や悲しい出来事に押しつぶされそうな人々が、自分を保つために作り上げる「怪物」を描いた物語である。

怪物は自分を苦しめる外因を自分に代わって破壊しつくしてくれる存在である。どうしようもならない現実を、変わるはずのない日常を打破してくれるヒーロー。それが怪物だ。

しかし怪物は同時に苦しんでいる自分を理解してくれる他者がいてほしいという願望の表れでもある。怪物を心に育てている人は誰にも理解されない苦しみを抱えている人であることが多いし、怪物はそんな人たちの中にいる唯一の共感者だ。

ジャンル「怪物」だと思っている作品を以下に引用する。

ジャンル「怪物」に属する作品

不革命前夜- NEE

これは曲の内容というよりMVの内容がジャンル「怪物」に属していると思っている。ヒロインを助けに来る男の子は女の子を助けてくれるヒーローであり、ピンチに助けに来る。この場合、男の子は女の子の生み出した「怪物」であるといえると思う。

PEOPLE 1 “怪獣”

あんまり歌詞読み込んでないが、冒頭の

さあさあ怪獣にならなくちゃ 等身大じゃ殺されちゃう

という歌詞が刺さった、怪獣をまとわないと押しつぶされそうな現実に立ち向かう内的なスタンスを感じる。

SSSS.GRIDMAN

ネタバレなんですが、登場人物のある一人が怪獣を生み出してムカついたやつを殺害しま来る描写がある。結局アニメの世界自体がその人物の夢というオチだが、構造自体はジャンル「怪物」と合致する。

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ジャンル「怪物」の良さ

ジャンル「怪物」の良さはいくつかある。

ビジュアルの良さ

たいてい心に秘めた怪物が実体化して、怪獣だったり巨大ロボットだったりで現れる。それだけで画面構成がかっこよくなるし、小さな存在が大きな存在を使役するという意味で爽快感もある。またひとたび怪獣や巨大ロボットが動けば町は破壊されるし、それを止めようとする勢力との戦闘も描かれる。とにかく画面映えするものばかりだ。

心理的なカタルシス

鬱屈や抑圧してきたものから怪物が解放してくれるという筋書きそのものが、悩みを抱えている人たちにとって理想的なシナリオであり、そこには強い感情移入が発生する。端的に言えばスカッとするわけである。ビジュアルの良さもこれを後押しする。

テーマの普遍性

そもそも誰しもが他人に言えなかったり理解されない悩みや苦しみを抱えていたり、いまそうでなくとも過去には抱えていた時期があるはずだ。そういった人の共感を得られやすいジャンル「怪物」は、幅広い客層に響く作品作りができるポテンシャルがあるといえる。

ジャンル「怪物」における問題点、積雲の独自性

ジャンル「怪物」は上記の利点も相まっていろいろなアーティストの作品がある。その中で積雲が考える独自性、つまり積雲が描きたい「怪物」とはなにか。それを語る前に現状の「怪物」ものに感じる問題点を書いていく。

現状の「怪物」ものに対して感じる問題点

そもそも怪物は現実社会では具現化されない。身もふたもない話だが、どんなに現実がつらくて、どんなに心で怪物を育てようと、それが怪獣や巨大ロボットといった人知を超えた存在になり替わることはない。

そしてただ怪物を育てることでは現実は好転しない。少なくとも自分の信念ではそう思っている。怪物を育てている間は自分の抱える問題に対する意識は外部にしか向かない。親が悪い、家が学校から遠いのが悪い、クラスに仲がいい友達がいないのが悪い。そういった自分の力ではどうにもならないものを主原因だととらえているうちは、自分が変わっていくことはない。つまりつらいと感じている自分自身が変わっていかないから現実は好転しないのである。

つまり「つらい現実の中で耐えていたらなんか怪獣や巨大ロボットが嫌なもの全部吹き飛ばしてくれましためでたしめでたし」では現実を生きる人を励ますことができないのだ。このようなストーリーでは映像の中ではスカッとできるかもしれないが、現実に持ち帰れるものがない。

では怪物を育てるのは間違いだから自分が変わるしかないんだよ、という話はどうか。確かに正論だが、明らかに説教臭い話になってしまう。というか怪物を育てているひともそこらへんは薄々理解はしているからそういうメッセージを感じる作品には「はいはいそうですか」とバリアを張ってしまうだろう。

端的に問題点をまとめると、

  1. 怪物を暴れさせてスカッとする話では現実の励ましにはならない。
  2. かといって怪獣を押し殺して自分が変わるしかないとダイレクトに言っても説教臭い

次のMVで描きたい独自性

上記の問題をクリアするためのMVの大まかな筋書きは以下の通りだ。

  1. 怪物を育てる。
  2. 怪物を目一杯暴れさせる。
  3. その結果自分の抱える変わらなければならない問題が浮き彫りになる。
  4. 怪物は消え、自分を変えたいと思う物語の兆しを見せる。

1.2.では怪物を抱える人たちをまずは肯定し、彼らの願う世界を映像で具現化する。怪獣や巨大ロボットに具現化した怪物が彼ら苦しめている環境を破壊していったならばこうなる!というのを描き切る。

その上での3.4.である。破壊しきった先には自分の抱えている悩みの原因(と思っている外的要因)が消え去った世界が現れる。しかし悩みは晴れない。そこはある意味でもう自分が変わることでしか自分の悩みが解消されない世界だ。つまり、自分の変わるべき部分がそこでようやく見えてくる。そしてそれは悩みや苦しみを解消するには自分が変わらなければならないという気づきにつながっていく。

この物語では怪物を育てている人を否定したり説教したりはしない。むしろ心の怪物を育てて、ある意味育て切って一度暴れさせてやらなければ、自分の変わるべきところなどわかるはずがないというメッセージが込められている。結論は「自分が変わるしかない」だからそれ自体は怪物を否定していても、それに至るまでに心の怪物を育てる過程そのものは肯定しているどころか必要だと描いているから今怪物を育てている人に対しても説教臭くならない。

これが積雲の描きたい「怪物」だ。

あとがき

RANGEFINDER公開して一週間と経たずに次作の構想を言うのも気が早いような気がするが、とにかく今自分が描きたいものをきちんと言語化する過程は必要だと思ったし、前回何度もそこに立ち返ったので、こうやってまとまった文章を書いておくことそのものに自分にとっての意味がある。

さて、脚本小説をkakuyomuで書いていかないと・・・・

 

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